Complete text -- "早稲田的な、あまりに早稲田的な。"
03 November
早稲田的な、あまりに早稲田的な。
15回生の金子です。
ふと、思う事があり、昔話など・・・・。
私が学生だった頃、今から約30年前。
当時「男は男らしく」と全く同じ文脈で
「早稲田の学生は早稲田らしく・・」と言われても、あまり違和感のない時代でした。
それでは「早稲田らしさ」とは何だったのか?
ある種の破天荒さ、独立心、オリジナリティ、在野精神、雑草、義理堅く人情に厚い、
無骨で真面目な、どちらかと言えば田舎っぽい、何事も率先垂範、損を省みず・・・・等々
卒業生に聞いたらバラバラな答えが返ってくるでしょう。
それはそれで良いのです。漠然としたイメージでも。
このイメージを好ましいと思う学生が、他の大学と比較して
早稲田大学に多く集まっていたと思うのは30年以上あるいはもっと前の事。
当時の私は単なる入試偏差値だけではなく、何か「早稲田的な価値観」が
キャンパスを支配しているに違いないと期待していたのだろうと思います。
もちろん、それは既に大きな勘違いだった訳ですが・・・・。
当時も早稲田大学は単なる入試偏差値65程度のありふれた私大のひとつに過ぎず、
「早稲田的な価値観」がキャンパスに溢れている訳ではありませんでした。
しかし、勘違いした私のような新入生だけでなく、早稲田の教授たち、早稲田の街の人々、
さかえ通りの飲み屋のオヤジやマスコミも含め圧倒的多数が、
「早稲田には早稲田的な価値観がある」と良い意味で誤解していたので、
それが真実になってしまっていた(笑)
「早稲田的価値観が溢れている」と勘違いする事で早稲田界隈は活気に溢れる街だったし、
心の故郷でした。ぼんやりと薄汚れた街灯まで輝いて見えたように思うのです。
嘘が本当になる。これはまさしく「魔法」だったと言えるのです!
広告屋的にはこの「魔法」を「ブランディング」と言ったりする訳ですが・・・。
早慶戦や早稲田祭等のイベント、活発なサークル活動や
早稲田・高田馬場界隈の喫茶店や飲み屋のマスターたちも一緒になって「魔法」を強化し、
早稲田大学のブランドエクィティ(資産)を連綿と築き上げてきました。
しかし、この「魔法」は徐々にネタがばれ、ありふれた「手品」となり、
いつしか単なる「懐古趣味」に堕してしまったのでしょう。
「魔法」が消えてしまった理由はとても一言で言えるものではなく
例えば、ケータイやインターネットの普及、学生のサークル離れ、
若年層の飲酒人口の減少、失われた10年・・・・。
どれも当たっているような、いないような。
卒業してから30年弱、勘違いであれ何であれ
「早稲田的な価値観」を引きずり生きてきて、得られたものは同じ価値観を持つ仲間でした。
確かに早稲田出身者も多いのですが、出身大学は様々・・・。そうなのです。
今、振り返ると「早稲田的な価値観」は狭い西早稲田キャンパスにあったのではなく、
私自身の心の中にあったのです。
私にとって「早稲田大学校歌」「紺碧の空」「コンバットマーチ」は懐メロではなく
「早稲田的な価値観」のテーマソングです。
今でも辛い時、苦しい時に、ふと口ずさんでしまいます(笑)
なべの会OB会の事務方を引き受けて5年が過ぎようとしていますが、
早稲田的な、あまりに早稲田的なサークル、早稲田大学なべの会が
これからも末永く続いていくよう願ってやみません。
取りとめのない事を書いてしまい申し訳ありません。
OB会員の皆様。御支援をこれからもよろしくお願い申し上げます。
15:08:00 |
nabenokai |
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Comments
せとおか@37回生 wrote:
広島のド・田舎から上京するにあたり、魔法に「勝手」にかかって出てきたことを思い出しました。
時々、周りの人から「卒業してずいぶんたつのに、まだ早稲田の枠から抜けられない」と言われることもあります。
辛いときにぶらっと大隈講堂に行って、入学式の日のことを思い出したり、高田馬場駅で入試で上京したときのことを思い出したり。
そうやっていろいろ乗り越えてきたように思います。
私もいまだに魔法にかかってるんでしょうね。
時々、周りの人から「卒業してずいぶんたつのに、まだ早稲田の枠から抜けられない」と言われることもあります。
辛いときにぶらっと大隈講堂に行って、入学式の日のことを思い出したり、高田馬場駅で入試で上京したときのことを思い出したり。
そうやっていろいろ乗り越えてきたように思います。
私もいまだに魔法にかかってるんでしょうね。
11/04/09 12:28:36
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